ファジアーノ岡山が初のJ1昇格を決めた。2024年春、社長に就任したばかりの森井悠さんに話を聞いた。(インタビュアー=松原龍之、インタビュー日=2024年12月11日)
ファジアーノ岡山のこれまで
川崎製鉄水島製作所(現JFEスチール西日本製鉄所)のサッカー部OBで結成したRFK(リバーフリーキッカーズ)のメンバーを中心として、2003(平成15)年に「ファジアーノ岡山FC」が誕生した。2006(平成18)年に「株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ」を設立。2009(平成21)年にJ2に初参戦。
シーズン16年目で通算3度目のJ1昇格を懸けたプレーオフに進出した。J1昇格ルールとして、J2リーグの1位と2位は自動的昇格が決定し、3位~6位の4チームによるプレーオフを行い、その中で勝ち上がった1チームだけがJ1に昇格できる。ファジアーノ岡山の今シーズンの順位はリーグ5位。プレーオフ準決勝は、アウェーのNDソフトスタジアム山形で、リーグ4位のモンテディオ山形を0対3で下し、プレーオフ決勝へ駒を進める。
迎えた12月7日、ホーム「シティライトスタジアム」でリーグ6位のベガルタ仙台と戦い、2対0で下しJ1昇格を決めた。
――まずは、J1昇格おめでとうございます。そして、社長就任1年目のシーズン。どんなシーズンだったのか、今日は聞かせてください。まず、今シーズンは、J1昇格の手応えはどれくらいあったのですか?
ありがとうございます。正直言うと、毎年、最高のチームだと思っています。J1昇格に向けて、最善を尽くしているムードは、クラブ内にありました。
――クラブの選手にかけられる予算によって、チームの強さ、順位がある程度決まってしまう部分もあると思うのですが、今期のファジアーノ岡山は予算的にはどうだったのですか?
クラブの予算で見れば、J2のリーグ1位の清水エスパルス、リーグ2位の横浜FC、だけではなく、リーグ8位の徳島ヴォルティスまで入れて、うちが一番予算の少ないチームです。そういう意味では、高い壁を感じざるを得ないところでした。試合は水物で結果はどうにもなりません。だからこそ、一試合一試合を本当に真剣に向き合う気持ちは強かったと思います。準備をして万全を期すことをしっかりやりました。
チームとしても、序盤からけがをする選手も多く、やりくりは難しかったですが、強化部は迅速に補強メンバーをリストアップして動いてくれましたし、ある程度、予算も使って挑みました。地味な話ですが、こういう一つ一つの積み重ねしかないと思います。
――苦しい戦いだったのですね。その中でも、J1昇格できたのはどんな理由があったと思いますか?
うちは、一度もJ1に昇格した経験のないチームです。振り返れば、2016シーズンで、初めてのプレーオフに進出し、決勝でセレッソ大阪に負け、2022シーズンは、プレーオフ準決勝でモンテディオ山形に負けました。この時はホームゲームでしたが、約1万1800人と満員にできませんでした。この悔しさを持って、翌シーズンを戦いましたが最終的には10位でした。
今年は、DFの田上大地選手など昇格経験のある選手や、横浜FCからGKのスベンド・ブローダーセン選手などに加入してもらいました。負け試合はリーグで3番目に少ないし、連敗は一度もしていません。このことが、シーズン終盤からプレーオフまで調子を上げられたこと、J1昇格を勝ち取れた要因だと感じています。
――他にどんなことが、J1昇格に影響を与えたと思いますか?
科学的な根拠はないことですが、勝つためのムード(空気)をどうにかして作りたいと悩みました。われわれクラブだけでは限界があることも分かっていましたので、サポーターやファン、まちの皆さんが、「盛り上げよう」「J1に行こう」と主体的に動いてくれるようになったら、選手の背中を押す大きな流れになると信じていました。
プレーオフ準決勝のモンテディオ山形戦の前、JR岡山駅前でチラシを配りました。アウェーなので、チラシを配っても山形まで応援に行ってもらうことは難しいとは思いましたが、テレビやメディアなどでファジアーノ岡山のことを気にしてほしい、注目してほしいという思いでした。
――ムード(空気)は作れましたか?
1000人近いサポーターの皆さんが山形まで来てくれて、選手がスタジアムに入るバスの通路にたくさん待ち構えてくれて応援してくれました。大きな力になったことは間違いありません。
その他にも、岡山城を桃色にライトアップしてくださいましたし、岡山県庁の入り口に「全員で勝つ!」のパネルを掲示してくださったり、イオンモール岡山のデジタルサイネージで映像を流していただいたり、さまざまな場所で盛り上げてくださいました。
決勝の日はバスが到着する場所にかなり多くのサポーターが集まり、声援を送ってくれました。選手入場の時には、バックスタンドの客席から旧エンブレムが描かれた初代ビッグフラッグが後方席から降りてきて、前方から新エンブレムのビッグフラッグが上っていき入れ替わる。サポーターの皆さんの今日に懸ける思いが伝わってきました。
――社長に就任して1年目でJ1昇格となったわけですが、どんな気持ちですか?
選手もスタッフもプロフェッショナルとして素晴らしい仕事ができたということだと思います。社長としての仕事としては、前任の北川が予算ありきではなく、チームづくりを第一に考えた予算編成をしていました。リスクを取りながら、攻めの姿勢でチャレンジをできました。
――これからはJ1クラブの社長となります。厳しい戦いが予想されますが、どんな気持ちでいますか?
巨大な相手に立ち向かっていくという意味では、一つ一つをしっかり戦うことしかできないと思います。予算的に見れば、J1の水準は平均で52億円。J1の強いクラブは1社で10億、20億という大きなスポンサーが付いているところが多い。これまでファジアーノ岡山は、700社で9億1,000万円。スポンサー企業の皆さんに、ここからも「全員で戦っていく」という思いを伝えていきたいと思います。15億円くらいまでは何とかしたい思いです。
――J1になるとスタジアムのことも気がかりですね。
実際にプレーオフ決勝は、1万4673人がスタジアム内で観戦してくれました。チケットは一般販売後、1時間で完売しました。仮定の話ですが、おそらく2万5000人収容のスタジアムだったとしても満員だったのではないかと思います。
岡山の皆さん、また対戦相手である仙台の皆さんが見たいと思ってもスタジアムの中で見られないという状況になりました。これは、特別な試合だったからと言えばそうなのかもしれませんが、J1というカテゴリでは、同様のことが多くの試合で起こり得ると考えています。
まずは岡山に住む皆さんが、日本最高峰のJリーグの試合を見たいと思った時に見られるスタジアムが必要だと考えています。ファジアーノ岡山がJ1のクラブであり続けるという覚悟と努力があってのことではありますが、各方面に求めていきたいと思っています。
――ファジアーノ岡山のクラブ理念に「子どもたちに夢を!」とありますが、J1昇格という一つの夢をかなえることができました。社長として、この理念をどう理解して行動に変えていきますか?
ファジアーノ岡山がJ1に昇格できたことで、岡山に住んでいることが誇らしく思えること、努力を重ねて力を合わせれば高い目標も達成できるんだと感じてもらえたなら、われわれの存在意義があったということでしょうし、理念の実現の一つになっていたのだと思います。
また、 「夢」についてですが、例えばここで「あなたの夢は何ですか?」と問われて、答えられる方は決して多くないと思います。これは子どもだけではなく、大人でも「夢を持て」と求められるのは窮屈な一面がありますよね。そういう中で私は、まずは「夢中になれる何か」に出合えることが素晴らしいことだと思っています。 トップチームの活躍に夢中になる子もいれば、サッカースクールでサッカーをすることに夢中になる子もいる。「夢中になれる何か」との出合いは、さまざまです。
それだけでなく、当クラブには日本パラスポーツ協会(JPSA)や日本障害者サッカー連盟(JIFF)の指導者ライセンスを持ったコーチが3人います。今年初めて開催したインクルーシブフェスタでは、腕や足に切断障害のある人のアンプティサッカー、視覚障害者もできるブラインドサッカーの他にボッチャなど、生まれ育った環境や場所、障害の有無に関係なくスポーツに触れられる機会づくりを試みました。このほかに、発達障害や知的障害、外国人や不登校の子たちとなど、全ての子どもに対して「夢中になれる何か」を見つけるきっかけづくりに取組み始めています。ファジアーノ岡山がJ1昇格で発信力や存在感が増せば、より多くの人に届けられるのではないかと期待しています。
――これまで平均入場者数1万人を目標にしたプロジェクト「チャレンジ1」がありましたが、今後はどんな目標を描いていきますか?
チャレンジ1は、J1にふさわしいクラブになることが最も大きな意義であり、そこを目標に置いてきました。まだまだ足りていないことはありますが、J1クラブになった今、J1にふさわしいチームを目指すのはおかしいので、新たな目標が必要だと思っています。
――では、どんな目標を立てますか?
当クラブにとっては、J1残留自体がすごく難しいことであるのは間違いないのですが、残留が目標だなんて言いたくないので、J1に定着をすることを目指しながら、一足飛びにはいきませんが段階的にJ1の山を登っていきたい。われわれは、考えられる最大限の準備をして一つ一つを戦っていくことだけです。
努力と根性ではどうにもならないことがJ1に上がれば一層増えると思います。自分たちができること、できないことを整理して、できることに焦点を絞っていきたいです。今年できたまち全体で感じられる団結力が来年も大事になる。例えば、スタジアムに来てくれる人だけではなく、来られない人もテレビやラジオ、新聞、ホームページ、SNSなど気にかけてもらえることが空気を作ることにもなると思っています。
アウェーの試合にもぜひ足を運び、後押ししてほしいです。近くでも広島のエディオンピースウイング広島、神戸のノエビアスタジアム神戸、大阪はパナソニックスタジアム吹田、ヨドコウ桜スタジアムなど、素晴らしいスタジアムもたくさんあります。岡山にも新たなスタジアムがもしできるなら、どんなスタジアムが岡山にふさわしいか、施設のあるべき姿も訪れることで感じていただきたいです。
――ファジアーノ岡山がJ1で戦い続け、頂点を目指すに鍵となることはなんですか?
一つの鍵となるのは、選手の育成。U-18は日本最高峰のリーグにいますし、U-18から世代別日本代表に3人が選ばれています。育成部門でも予算が多いクラブが有利であることは仕方ないですが、岡山というまちの強みもります。
Jリーグには地元で育ったという意味の「ホームグロウン」という制度があります。岡山県は185万人の人口があり、岡山県内でサッカーができる環境を整えることで、将来、岡山出身の子たちがファジアーノ岡山の選手としてピッチに立ってくれることを望んでいます。
――2025年、ファジアーノ岡山は、どんなクラブでありたいですか?
これまで通り誠実さを前提とした、多種多様な存在がいるクラブでありたいです。結果を出す組織とは、同じ色に染まりすぎず、意見や考え方の違いをしっかり議論して、克服していくことで最大の成果を生むと信じています。
――J1クラブとして、社長として大事にしたいことは?
J1としてのマインドセットですね。J2に長い間いたので、J1での試合への向かい方を丁寧にアップデートしていく必要があります。クラブとしても、まちとしてもアップグレードをしていきたいです。ホームゲームでも、時には3000人以上のアウェーサポーターをお迎えする可能性があります。クラブとして、そしてまちとしてどう迎えるのか、しっかり準備した状態でお迎えしたいです。
既存の強豪J1クラブとの対戦に憧れるのではなく、「私たちもJ1クラブである」と堂々としたマインドセットをみんなで作っていきたい。大谷翔平さんが言った「憧れるのをやめましょう」ですね。
――2025年はJ1元年として、注目しています。ありがとうございました。