岡山出身の詩人・永瀬清子の生家である「清子の家」(赤磐市松木)が改修工事を終え一般見学が始まり2カ月がたった。
永瀬清子は1906(明治39)年、現赤磐市に生まれ、父の転勤で東京・大阪などを移り住んだ後、1945(昭和20年)に戦火を逃れて岡山に戻った。詩作は17歳から始め、24歳で自らの詩集を初出版。89歳まで作り続けた。1949(昭和24)年から39年間、国立療養所「長島愛生園」(瀬戸内市邑久町)に通い、ハンセン病患者に詩を教える活動も行っていた。
2005(平成17)年に設立された「永瀬清子生家保存会」では2012(平成24)年、江戸末期に建てられたという生家主屋の改修に着手。同会は2013(平成25)年にNPO法人化した。生家の敷地にあった土蔵は2017(平成29)年、工事費を得られず解体されたが、中村智道監督が解体前の土蔵で映画「きよこのくら」を制作、全国上映が行われた。映画公開の同年、生家主屋と井戸が国指定有形文化財に登録された。
永瀬清子の母が暮らした「離れ」と釜屋(かまや)の改修工事は、クラウドファンディングなどで通じ支援者から寄せられた資金約1,000万円を基に行われ、今年2月に全工程を終えた。5月16日に竣工(しゅんこう)式と茶会、17日にお披露目会が行われた。
完工を機に、同文化財の愛称はこれまでの「永瀬清子の生家」から「清子の家」に変更した。保存会理事長の横田都志子さんは「愛称は永瀬清子文学記念館や永瀬清子文学交流館などの候補もあったが、永瀬清子が残した言葉と暮らしたたたずまいの残る場所にしたいとの思いから『清子の家』とした。永瀬清子の詩で救われた人がいるように、この場所に来て言葉と出合うことで支えられる人がいれば」と話す。
元倉庫があった場所は売店となった。店内では、「最後のボタン」「地球の水をくむ」「風ノ流レニカマス」など17種の永瀬清子の言葉を綴(つづ)った「言葉の薬」を、薬袋を模した紙袋に入れた商品「言葉の処方箋」、解体した蔵の土壁を瓶詰めした「蔵の土」(以上、500円)などを販売している。「言葉の処方箋」の包装袋デザインは、永瀬清子の詩集「美しい国」の装画に使われた山本遺太郎さんの作品を採用している。付録として、精神科医の塚本千秋さんの「言葉の薬について小さな覚書」も付く。「言葉の薬」が書かれた紙は水に溶ける紙を使っている。
「清子の家」見学会は、毎月17日に開催する朗読会の日と、第3日曜に行う。朗読会は、季節の詩や参加者が読みたい詩を読む会。このほかに今後は、詩作ワークショップなども計画しているという。
横田さんは「建物の数カ所に永瀬清子の詩を置いている。永瀬清子の詩は独特のリズムがある。希望があれば私が音読する。永瀬清子は生涯にわたり人を励ますために詩を作ってきたが、自信があったわけではないそうだ。ほめてほしいと願いながらもへこたれない姿、正直であり続ける姿に勇気をもらえる」と話す。
「改修の最終工事は、棟梁(とうりょう)の黒住卓史さんをはじめ多くの職人に力を注いでいただき感謝している。建物が改修されたことで、永瀬清子の気配を感じられる空間になった。外からも気配を感じられるよう物干し風景も再現した」と横田さん。
見学会実施時間は、毎月17日=13時~15時、第3日曜=10時~15時。入場料300円。