カウラ事件の生存者を追ったドキュメンタリー映画「カウラは忘れない」が7月2日から、シネマ・クレール(岡山市北区丸の内1)で上映される。
同映画は、「カウラ事件」の生存者4人を取材した特別番組を追加映像と併せて再編集したもの。製作は瀬戸内海放送(香川県高松市)で、監督は同局ディレクターの満田康弘さん。カウラ事件とは、太平洋戦争中に日本人捕虜約1100人が収容されていたオーストラリア・カウラの捕虜収容所から1944(昭和19)年8月、約900人が脱走した事件。日本人死者234人、負傷者108人。脱走の背景には、捕虜になることを善しとしない当時の教育や世相があったとする。
満田さんは、前作「クワイ河に虹をかけた男」(2016年)の撮影で約20年間、永瀬隆さんを取材していた。永瀬さんは岡山出身の元陸軍通訳で、戦時中の日本兵の行為へのしょく罪と和解に生涯を捧げた人。1988(昭和63)年に永瀬さんがカウラ事件の生存者を集めたシンポジウムを開いたことがあった。満田さんは、永瀬さんからいつかカウラ事件のことも多くの人に伝えて欲しいと言われているような気持ちでいたという。
生存者の一人で国立ハンセン病療養所「邑久光明園」(瀬戸内市)の入所者・立花誠一郎さん。旧山陽女子高校(岡山市中区門田屋敷2)の生徒らが、立花さんからカウラ事件とハンセン病の二重の苦しみを学び、後世に伝える活動をしていた。立花さんは、カウラ捕虜収容所でハンセン病と診断され隔離されていたため脱走事件に加わることはなく、生前は当時の話を語り伝えていた。2009(平成21)年にこの活動を報道したことが、カウラ事件を取材する始まりとなった。
その後、2010(平成22)年から2018(平成30)年にかけて4回の特別番組を制作・放送した。この間には、カウラ事件70年や立花さんの死去という出来事があった。監督の満田さんは2回、カウラを訪れている。劇団「燐光郡」を主宰する劇作家の坂手洋二さんから映画化を勧められ、満田さんは編集を始めたという。坂手さんはカウラ事件70年の時、立花さんをモデルとした舞台「カウラの班長会議sideA」を現地で上演した。
満田さんは「日本とオーストラリアの和解で美談として終わらせてはいけない。未来への教訓として届けたい」と話す。「生存者であっても捕虜であったことは誰にも知られたくないと思わせるほど、当時は人の命を大切にしていなかった。同調圧力に負け、自殺行為でしかない脱走に踏み切った捕虜たち。果たして現代の日本社会はどれほど変われたのだろうか」とも。
当初は昨年夏の公開を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で約1年、公開を延期している。
シネマ・クレールでの上映は15日まで。ポレポレ東中野(東京都中野区)など全国10カ所以上での上映も予定する。